2012年3月9日星期五

Sh.ボルド:「ヘリコバクター・ピロリ菌はノーベル賞受賞者ではなくモンゴルのスンベ・ハンバが発見したのです」

博士が、学生時代に「モンゴル伝統医学史を書いてやるぞ」とおっしゃっていたと、同級生だった方が回想されています。医師が歴史を研究するのは大変ではなかったのですか。 私は、国立医科大学伝統医学科を1993年に卒業した第一期生という誇りを常にもっています。学生時代から伝統医学史や治療法に興味をもち、研究を始めました。伝統医学の秘めたる歴史に少しずつふれるようになると、もっと知りたいと思うようなり、いつかマニアのようになってしまいました。ほんの2年生が「モンゴル医学史を書いてやるぞ」などと言っていたのですから、同級生たちからはよくからかわれたものです。でも、今その夢を実現しつつあります。大学を卒業し、伝統医学専門官として保健省に就職して、省にいた時にフィリピンの医療マネジメント・コースで学ぶ幸運が巡ってきました。そこで、日本・中国・韓国の研修生らとモンゴル伝統医学の治療法について話をすると、「何か専門書はないのか」「どのような資料や研究があるのか」などの外国人からの質問に戸惑うことがよくありました。それで「専門書を書こう」「外国人に紹介できるものを書こう」と決心したのです。研修期間中に、初期の研究や資料に基づいて英語で原稿を書き始めました。

――モンゴル人は古い時代から病気の治療を行っていたと言われています。何年ほどの伝統があるのですか。 モンゴル医学が5000年前から始まったことは、考古学の発見や古い医学書などの文献によって証明されています。もしかしたらそれよりも遡るかも知れません。インドのアーユルベーダには7000年の歴史がある、中国医学は5000年と言われています。しかしながら、「中国史の父」と言われる司馬遷の『史記』に、モンゴル医学の歴史に関係する記述がたくさんあります。漢の歴史にも匈奴の医学について詳細が記されています。

――匈奴時代に瀉血やお灸をしていたわけではないと思うのですが。 中国、チベット医学の古代史の文献研究に際しては、方法論についてかなり注意したつもりです。古い文献の黄色に変色して乾いた頁ごとに貴重な記述があります。信じがたく、迷わせるようなものも多くあります。モンゴル人が石器時代から瀉血治療を行っていたことは驚くべきことだと思います。それを証明する考古学的発見は石鍼です。モンゴルで発見された石鍼を中国で見つかった鍼と比べると、非常に似ています。それ以外に銅鍼・骨鍼・錐なども発見されており、これらがモンゴル人の伝統的な治療と関係があると証明されています。匈奴の墳墓からスプーンのような形をした骨が出てきました。これで何をしていたのか、何に使っていたのかという質問に、考古学者も歴史学者も答えを見つけられませんでした。ところがその後、ロシアの研究者が粉薬を計るサジであることを証明したのです。当時、薬を処方する医師が存在した証拠がそのサジだったわけです。

――古代の文献に書かれた記録をどこから発見して読んでおられるのですか。 中国・チベット・日本・韓国の歴史書をそれぞれの国の図書館で閲覧します。ラサの中央図書館では一週間調べものをしました。興味深いたくさんの大著、忘れ去ってはいけない知識の源泉がそこにあるのです。ダラムサラのチベット医学占星術研究センターの図書館に保管されている貴重な文献・資料は何度でも読みたいと思います。チベットの著名な医師、大小ユテンヨンドンゴンボの伝記に、モンゴル人の治療法について興味深い歴史が記述されています。そればかりか、新鉄器時代に人の頭蓋骨に外科手術、これを専門用語では「テルピナツ」と言いますが、この種の手術を行っていたという多くの記述があります。

――鉄器時代に脳外科手術をしていたモンゴル人の医術は現在まで秘密だったということでしょうか。 ロシアの物理学者、I.P.パブロフは「医学は人類の歴史と同い年だ」と言っています。ホモサピエンスの歴史を3万5000~4万年だとすれば、医学にもまた同じくらいの歴史があるはずです。頭蓋骨の手術法は非常に古いものです。それを証明する発見がヨーロッパ、シベリア、のちにペルーから見つかっています。オブス県オラーンゴム郡のチャンドマン山の墳墓から手術が行われていたことを証明する穴の空いた4つの頭蓋骨が発見されています。これらの骨は紀元前7~3世紀のものであるというのです。考古学研究所の考古学者ツェウェーンドルジ氏と研究員のナラン氏がそのお墓を詳しく調査しました。頭蓋骨に施した手術の状態、骨の回復、手術後何年間生きたかなどを調査する方法があります。これにしたがって調査したところ、モンゴル人は鉄器時代にすでにこのような手術を行っていたことがわかったのです。チベットの著名な研究者ゲセル・サンジャージャムツが17世紀後半に書いた『チベット医学史』にとても興味深い文章を見つけました。翻訳すると「リグワジャルツァンという人の著した本に記された頭蓋骨に穴を開ける35種類の方法はモンゴルの方法である」と。この情報はモンゴル医学の能力を証明していると思います。

――中国やチベットでは、遺跡から頭蓋骨がかなり発見されているようです。遊牧民のライフスタイルの特徴に適した治療法の存在を証明する証拠と考えていいのでしょうか。 遊牧民の治療法は、投薬のほかに瀉血・灸・ハトガハ・ツォーロホ(一種の鍼治療)などに専門化していたことがわかっています。灸は遊牧民が世界の医学の発展に貢献した具体例です。2000年前に書かれた中国の医学書『黄帝内経』に「お灸は北方の遊牧民から伝わった治療法である」と記されています。チベット医学の文献にも同様の記述があります。

――古い処方により行った治療や化粧品が中国や日本から入ってきていると言われています。モンゴルにそのような処方があったのですか。 「匈奴遊牧民の丸薬」という薬が中国の医学書に書かれています。4種類(細かくは8種類)の処方があります。「寒気」が絡み合った内臓の病気に服用していました。匈奴が処方を考えて中国に伝えたのです。戦いで負傷した兵士に施していた灰治療について興味深い歴史をお話しましょう。漢との和解後、ス・ウを代表とする100人余りの使節団が匈奴にやって来ました。そのとき随行していたジャン将軍が邪な考えをおこして、冒頓単于に陰謀を企んだのです。そのため、ス・ウは批判されることとなり、自らを剣で斬りつけ自害しようとしました。すぐに匈奴の医師が駆けつけ、ス・ウの命を救おうと救急処置を行ったのです。この事件については、ス・ウの伝記に書かれています。このことから考えると、匈奴時代には医師がすでに専門職となっていたことが明らかです。

――博士は、ご著書の中で「モンゴルの伝統的な治療法について興味深い資料を入手した」とお書きになっていますが。 この本は「モンゴル伝統医学史」「統一理論」「モンゴル人の健康に暮らす知恵」という3章で構成されています。歴史的事実を平易な文章で説明するよう努めました。「モンゴルの伝統薬・医学の基礎理論」という項では「ヘリコバクター、子宮筋腫はモンゴル人が18世紀すでに発見していた」という新しい証拠を入手したことを紹介しています。

――ノーベル賞を受賞した新しい発見が数年前に世界で大きく注目されました。そのヘリコバクターをモンゴル人がそれよりもずっと以前に発見したとおっしゃるのですか。 医学に新しい革命を起こしたその人は、スンベ・ハンバ(大僧正)・イシバルジルです。彼は18世紀、チベット医学に革命を起こして「ヒー(風性)・シャル(熱性)・バダガン(寒性)」の三元論を補完した六元論を打ち立てました。つまり「ヒー・シャル・バダガン・ツォス(血)・シャルオス(リンパ)・ホルホイ(虫=菌・ウイルス)」に発展させたのです。そして、ホルホイの中でも「胃のホルホイ」「子宮頸のホルホイ」に注目し、その治療法を述べています。これは新発見でした。2005年、オーストラリアの研究者バリー・マーシャル、ロビン・ウォレン両氏が胃・小腸の病気の90%、癌の80%がヘリコバクター・ピロリによって発生することを発見し、ノーベル賞を受賞しています。しかしながらスンベ・ハンバはそれよりはるか昔にこのことを知っていたのです。2008年、独・仏の研究者が子宮頸癌を発生させるウイルスを発見してノーベル賞を受賞しましたが、スンベ・ハンバは「子宮頸のホルホイ」を18世紀に発見し、どのように治療するかについて記述しています。このように私たちの祖先が科学の発展にいかに貢献してきたかについてもっと研究する必要があります。モンゴル医学の発展は、病気を治療するよりもどのように健康な生活を送るかという問いに対する答えを模索してきた人々の歴史であると言えるのです。

Sh.ボルド(Sh.Bolud) 1964年生まれ。1993年モンゴル国立医科大学伝統医学科卒業、1998年同博士課程修了。科学博士(医学、2005年)、モンゴル国科学アカデミー会員(2007年~)、教授(2010年~)。現在、アチ医科大学副学長、ワンセンブルウ・モンゴリア専門委員(日本財団の資金援助による「モンゴル伝統医療普及事業」実施団体)。伝統医学に関する著書40冊以上、学術論文は160本に及ぶ。

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