2014年9月13日星期六

ジェノサイドと文化大革命 内モンゴルの民族問題 - 楊海英 著

語ることが許されていない事実

1966年に中国文化大革命が勃発したとき、内モンゴル自治区のモンゴル人人口は150万人弱で、侵略してきた中国人はその9倍に達していた。モンゴル人たちは自らの故郷において完全にマイノリティに転落したのである。やがて少数民族のモンゴル人は全員が粛清の対象とされ、少なくとも34万6000人が逮捕され、2万7900人が殺害され、12万人に身体障害が残ったという。

著者自身が収集した、約6000頁にのぼる中国政府の公文書と被害者報告書、加害者の反省文など、ほとんどが中国では未公開で研究者も閲覧できない資料に依拠。被害者と加害者の双方の資料をもちいた、モンゴル人ジェノサイドの文献的研究。


目次

序章 隠されたジェノサイド
1 隠されつづけているモンゴル人ジェノサイド
2 モンゴル人ジェノサイドの原因
3 共産党中央委員会と同時進行した前門飯店会議
4 ジェノサイドの確証

第一章 ジェノサイドを煽動する共産党のヘイト・スピーチ
1 流氓政治
2 優秀な流氓の発声
3 北京からのジェノサイドの号砲
4 大量虐殺の目的を説く
5 中国人対モンゴル人の戦争
6 虐殺の急先鋒
7 情勢の変化と虐殺者の政治的臭覚
8 「民族の消滅」を実現させたヘイト・スピーチ

第二章 受難するモンゴル人の指導者ウラーンフー
1 モンゴル人指導者を粛清する戦略
2 ウラーンフーというモンゴル人政治家を研究する意義
3 中国共産党が描く「ウラーンフー同志」
4 中国周縁部に住むウラーンフー
5 中国共産党華北局前門飯店会議
6 「反大漢族主義運動」に対する清算

第三章 粛清される民族自決の内モンゴル人民革命党員たち
1 内モンゴル人民革命党粛清事件とその性質
2 仕掛けられた「モンゴル人同士の内紛」
3 中国政府が矮小化するウラーンフーと内モンゴル人民革命党
4 造反派領袖の経験
5 欧米が認識する内モンゴルの中国文化大革命
6 第一次資料が語る内モンゴル人民革命党粛清運動
7 大量虐殺に利用された民族自決の歴史
8 虐殺をはたらいた側からの報告
9 大量虐殺後の政府政策と矛先の転換
10 虐殺後の戦争動員
11 陰謀のための「名誉回復」と未解決の民族問題
12 モンゴル人ジェノサイドの性質

第四章 倒されていくエリートたち
1 生き残った人たちの回想
2 中国政府公文書が伝える大量虐殺の推進方法
3 被害者と加害者側の記録
4 公文書が語るあるモンゴル人将校の殺害
5 内モンゴル軍区の加害者たち
6 師団長以上の座談会

第五章 ジェノサイドのコミューン
1 中国政府の公的な資料が伝える大量虐殺と謀略的前後
2 大量虐殺の部分的停止と謀略的処理
3 自治区における政策の制定と伝達
4 四家堯人民公社の被害状況
5 四家堯人民公社におけるモンゴル人の粛清方法
6 被害を訴える陳情書と証明書
7 名誉にならない「名誉回復」
8 国際社会に訴えるべき人道に対する犯罪
9 自治区全体における被害状況の推算

終章 モンゴル人学生運動と「地方民族主義者」が語る中国文化大革命
1 大量虐殺の後史としての学生運動
2 近代史の曙は東から
編著者プロフィール

楊海英(やん・はいいん)
静岡大学人文学部教授。内モンゴル出身。日本名大野旭(おおの・あきら)。国立総合研究大学院大学博士課程修了。歴史人類学専攻。
著書に『モンゴルとイスラーム的中国』(風響社)、『墓標なき草原―内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(岩波書店 第十四回司馬遼太郎賞受賞)など。

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