楊さんとの会話ではモンゴルのあちこちの地名が話題にのぼる。オルドス、シリーンゴル、ホロンバイル、百霊廟、王爺廟など。それらはまだ訪れる機会がな いが、話を聞くうちに、森林が多い、草原地帯、温泉がある、大柄の馬が多い、……など、風景や風物が浮かんでくるほど、具象的なイメージに彩られるまでに なった。楊さんは、本書の主人公、ウラーンフーの生まれ故郷に近い、内モンゴル西部の陝西省に隣接するオルドスで生まれ育った。オルドスはチンギス・ハー ン祭殿のある草原地帯で、今は地下資源開発のために地上げ屋が暗躍し、人の住まない高級マンションが林立しゴーストタウン化しているという。
中国という国の国境に囲まれた中に、中国とは別の文明圏があって、いまは中国によって人も歴史までもが浸食されているという現場感覚が、楊さんを通して 身に着くようになった。楊さんは「蒙古」とは決して言わず、「モンゴル」と言う。「モンゴル民族」とは言わず、「モンゴル人」と言う。「内モンゴル」は 「南モンゴル」、「外モンゴル」は「北モンゴル」と言う。中国共産党の革命「根拠地」は「割拠地」と表現する。そして「中華民族」は「大漢族」と称する。
本書にはモンゴル人である楊さんの思い入れや想像がウラーンフーという人物造形の重要な要素となっている。とはいえ、その基底には、膨大な一次資料がある。『内モンゴル自治区の文化大革命――モンゴル人ジェノサイドに関する資料』(風響社刊)と いうA4判で一冊が一〇〇〇頁になんなんとするほどの資料集をすでに五冊刊行し、いずれ一〇冊まで刊行する予定である。各冊の解説だけでもゆうに一〇〇枚 はある。徒手空拳で広大な中国の大地からこれらの資料を収集し、体系的な資料集をまとめる才覚と執念は、並大抵のものではない。
ウラーンフーは、モンゴル人大量虐殺という凄惨な悲劇の原因と結末を一身で背負わされるような役回りを演じさせられた。だが、誰よりもモンゴルを愛し、 民族主義者として偉大なモンゴル人の民族英雄であるチンギス・ハーンの足跡を追い求め、「第二のチンギス・ハーン」になろうとした。本書から、自伝もまと まった証言も残さなかったウラーンフーの内面の真実の声を聞く思いがする。()場公彦
楊 海英(よう かいえい)
モンゴル名オーノス・チョクトを翻訳した日本名は大野旭.1964年,内モンゴル自治区オルドス生まれ.北京第二外国語学院大学日本語学科卒業.89年3月来日.国立民族学博物館・総合研究大学院大学博士課程修了.博士(文学).静岡大学人文学部教授.主な著作に『墓標なき草原――内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録(上)(下)』(岩波書店,2009年.2010年度司馬遼太郎賞受賞),『続 墓標なき草原――内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(岩波書店,2011年),『モンゴルとイスラーム的中国――民族形成をたどる歴史人類学紀行』(風響社,2007年)などがある.
人物紹介
プロローグ
第一章 自決
一 自由連邦の夢
二 自由連邦の中身
三 連邦建設のための自治政府
四 殖民地内モンゴル
五 内モンゴルの領土的な統一
第二章 自治
一 「立ちあがった」中国人と闘う
二 自治の困難
三 国破れて,山河あり
四 反大漢族主義の共和国指導者
五 毛澤東との暗闘
六 否定される自決と制限される自治
七 遊牧と農耕間の文明的衝突
八 中ソ対立の渦巻き
九 区域自治は民族問題を解決しない
第三章 抵抗
一 農民代表毛澤東と遊牧の代弁者ウラーンフー
二 中国への理論的な反撃
三 国際共産主義者の苦悩
四 回想できない空白期の歴史
五 自治政府成立の真相
六 創りあげた社会主義の中味
七 大漢族主義への宣戦布告
八 巻き返す中国人
第四章 破滅
一 中国政府の包囲網
二 北京に闌 ける反モンゴル人の宴
三 共産党中央による断罪と自治政策の撤回
四 中国人プロレタリアートの組織的中傷攻撃
五 民族全体の連座
六 自治を否定する中国人民の論壇
七 中国という牢獄に陥った民族の悲劇
八 中国人が播いた民族間の怨恨の種
エピローグ
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