2013年12月8日星期日

「中国の性犯罪を国際社会は裁くべきである」ー楊海英

12月1日、内モンゴル出身で、静岡大学教授楊海英さんの講演会が南モンゴル文化促進会主催により東京で行われました。 楊氏は著作「墓標なき草原」「中国とモンゴルのはざまで」(ともに岩波書店)の内容を、様々なスライドを使って分かりやすく説明し、モンゴルの歴史が、まさに中国によるジェノサイドの犠牲と牧畜文化の絶滅による文化と環境破壊の歴史だったことを述べました。明らかにした。特に文化大革命の時代、ソ連派のマルクス主義者ではあったが、少なくともモンゴル民族の自決権を死守し、漢民族による支配だけは断固拒否した指導者、ウラーンフーに対する徹底した誹謗と、モンゴル民族全体への残酷な弾圧のありさまには目を背けたくなるものがありました。現在中国政府が認めているだけでも、文革の時代には1966年に150万人弱の内モンゴル自治区のモンゴル人のうち2万7千9百人が殺害され、34万6千人が逮捕された。しかしここには「遅れた死」過酷な拷問により出獄後亡くなった犠牲者数は含まれない。研究者の中には30万人を超える犠牲者が出たという説もあります。

詳しくは楊氏の著書、特に悲劇的なウラーンフーの生涯を描いた「中国とモンゴルのはざまで」(岩波書店)を読んでいただきたいのですが、そこで感動的なエピソードが一つあります。ウラーンフーは急激な人民公社化により社会が混乱し、大量の孤児が出現していた60年代、孤児をモンゴルが遊牧民の子供として引き取ることを提案し、実際数千人の孤児をモンゴルに受け入れました。遊牧民の習慣を受け入れ、その生活になじむのならば、民族を超えて受け入れようとしたモンゴル人たちと、モンゴルの伝統的な牧畜生活すら非文明的なものとして全否定し、従わないモンゴル人を虐殺していった中国共産党独裁政府では、少なくともその人間性において天地の差があります。

以下の文章は、当日楊氏が配布した資料です。

中国による性犯罪を 国際社会は裁くべきである

楊海英
いわゆる「従軍慰安婦」を「性奴隷」と見なす宣伝が活発化している。こうした政治的な喧伝は戦勝国が自身の性犯罪を隠蔽するための謀略でもある。私はここで、戦時ではなく、平時における中国政府と中国人たちによる性犯罪の事実を告発する。国連はじめ、国際社会が中国の性犯罪を不問にして今日まで放置してきたのは無責任である。これから、国際人道法廷と良識ある市民が中国の犯した性犯罪を裁くよう求めたい。

中国政府と中国人による性犯罪はマイノリティのモンゴル民族に対して、組織的に発動された。この性犯罪は一九六六年から一〇年間つづいた文化大革命中に起こった。性犯罪だけでなく、文化大革命中にモンゴル人の領土、内モンゴル自治区で大量虐殺が発生した。中国政府の公式見解によると、三四万人が逮捕され、二万七千人が殺害され、一二万人に身体障害が残ったという惨状である。当時のモンゴル族の人口は一四〇万人だったので、一つの家庭から最低一人が捕まえられ、五〇人に一人が殺された計算である。欧米の研究者がおこなった現地調査では、殺害されたモンゴル人の数は一〇万人に達するとしている。殺戮の他に性犯罪も長期にわたって各地で横行した。モンゴル人が大量虐殺され、女性が性犯罪の犠牲者になった原因は、満州国時代に「日本に協力した罪」とモンゴル人民共和国の同胞との統一合併を目指した自決の歴史にある。中国がモンゴル人の自決運動を「祖国を分裂させた行為」だと批判したためである。(抽著 『墓標なき草原』参照)。

中国政府と中国人が主導したモンゴル人ジェノサイドについて、私は五冊の第一次資料を日本で刊行し、研究してきた。このうちの第五冊は『被害者報告書』からなっており、女性たちが自身の経験した性的被害を記した記録である。その数例を紹介しよう。

まず、内モンゴル自治区西部のトゥメト地域での実態を見てみよう。例えば、四家蕘人民公社では共産党書記の白高才は中国人たちを集めて、モンゴル人女性を逆さまにしてその陰部を縄で引き、大怪我をさせた。中国人たちは妊娠中の女性の胎内に手を入れて、その胎児を引き出した犯罪も働いた。中国人たちはこれを「芯を抉り出す」(挖芯)と呼んでいた。実際、ワンハラという女性を中国人たちは「民族分裂主義者」だと決めつけ、彼女に対して「芯を抉り出す」暴虐を実施した。手を陰部に入れて子宮にまで達し、四か月になっていた胎児を引き出した。

彼女はこの暴挙が原因で亡くなった。
内モンゴル自治区中央部のチャハル右翼後旗のモンゴル人たちは次のように回想している。

<ドルジサンという女性の牧畜民がいた。ある晩、中国人たちは彼女を裸にしてから手と足を縛った。そして、刀で彼女の乳房を切り裂いてから塩を入れ、箸でかき混ぜた。鮮血は箸に沿って流れ、床一面が真っ赤に染まった。彼女はこのように十数日間にわたって陵辱されて亡くなった。>

このチャハル右翼後旗のあるウラーンチャブ盟では、計一六八六人のモンゴル人が惨殺されていた。
中国人が創出する「性奴隷」

近年、私はモンゴル人女性の性的被害状況について調査を進めいる。以下はフフホト市に住むモンゴル人の証言である。彼女は当時、ウラーンハダ人民公社に暮らしていた。

<私が住んでいた集落は五戸のモンゴル人からなり、九人の女性がいた。一九六八年二月のある日、中国人たちは片手に毛沢東語録を持ち、もう片手で鞭を持って私たちを叩いた。鞭が切れ、棍棒が折れるまで殴られた。親戚の二〇代の女性は殴られて流産したが、中国人たちは大声で笑い、喜んでいた。

モンゴル人女性は例外なく中国人幹部や解放軍の兵士にくりかえしレイプされた。あの時代、半径数十キロ以内のモンゴル人女性たちに逃げ場がなかった。

一九六八年の夏のある晩、彼らは私たち五人の女性を丸裸にして草原に立たせた。

私たちは両足を大きく広げられ、股の下に燈油のランプが置かれた。する、無数の蚊や蛾などの虫が下半身に群がってきた。このような虐待方法はその後、何日もつづいた。凌辱されている時、大勢の中国人たちがまわりでみて、笑っていたのである>

このように、中国政府と中国人たちはモンゴル人女性をまさに「性奴隷」として扱っていたのである。

中国政府と中国人たちがモンゴル人女性に対して働いた組織的な性犯罪の特徴は三つある。

一、この性犯罪は戦時ではなく、平時に犯したことだ。文化大革命期は、「中国人民が資本主義より幸せな社会主義の大家庭に暮らしていた太平の世」だと政府が唱えていた。

ニ、性犯罪を主導したのは、「人民の子弟から人民解放軍」と「五千年もの長い歴史を持つ文明人の中国人」だった。中国人はモンゴル人などを「野蛮人」と貶す。「文明人」は「野蛮人」に対し、何をしてもいい、という心理が働いていた。

三、戦場における性の売買と異なり、中国が犯した性犯罪には残虐行為が伴っている。残忍性こそが中国政府と中国人が働いた性犯罪の特徴である。

モンゴル人被害者は泣き寝入りを強制され、訴えられない状況におかれて今日に至る。中国政府は犯罪者を逮捕し、裁判にかけるような措置を取らなかった。国際社会と国際人道法廷今後、中国の未解決な人道に対する性犯罪を裁かなけばならない。

勝った中国を善なる存在と見なして称賛し、負けた日本を叩く「進歩的な人士」が日本にいる。彼らも中国の性犯罪を認めようとせずに、逆に中国の少数民族弾圧に加担する。「進歩的人士」の行為も人道に対する犯罪と同じである。



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